赤迫電停から歩いて行きました。電車の走る国道に案内標識があり、坂道を登っていくと道路の右側に駐車場があり、そこへ歩いていくと道路の下にトンネルが保存されていました。実際の戦争中の写真をみると現在道路がある辺りは山だったようです。中は赤迫の電停付近まで300m繋がっているとの解説がありました。トンネル内の見学は原爆記念館に連絡とのことが書かれていました。
路面電車の「赤迫」電停から徒歩10分ほど。駐車場の脇、道路の歩道の下に隠れるようにトンネルがある。戦時中に魚雷の部品を造っていた工場跡で、6本のトンネルが掘られていたが、4本は入口が塞がれ2本だけが公開されている。入場無料。 トンネル手前には柵が設けられているので中に入ることはできないが、人が近づくとセンサーが反応して照明が内部を照らすようになっている。保存・補強のためであろう、入口は真新しいコ...
6本掘られたトンネルの内の1・2号トンネルが、2010年から出入口部分を公開されていて、年に数回内部も公開していて、大変貴重な遺産です。地元の多くの方にとっては負の遺産かもしれませんが、国防とは言え民間で大量の兵器を作り商売していた歴史的事実は、広島と長崎の経験との因果関係が検証されて正しく伝えるべき価値がありそうですね。深い反省のもと、批判するだけでなく、建設的な活動を次の世代に繋げたく。
戦時のトンネル工場跡
赤迫電停から歩いて行きました。電車の走る国道に案内標識があり、坂道を登っていくと道路の右側に駐車場があり、そこへ歩いていくと道路の下にトンネルが保存されていました。実際の戦争中の写真をみると現在道路がある辺りは山だったようです。中は赤迫の電停付近まで300m繋がっているとの解説がありました。トンネル内の見学は原爆記念館に連絡とのことが書かれていました。
戦時のトンネル工場跡
赤迫電停から歩いて行きました。電車の走る国道に案内標識があり、坂道を登っていくと道路の右側に駐車場があり、そこへ歩いていくと道路の下にトンネルが保存されていました。実際の戦争中の写真をみると現在道路がある辺りは山だったようです。中は赤迫の電停付近まで300m繋がっているとの解説がありました。トンネル内の見学は原爆記念館に連絡とのことが書かれていました。
戦争の雰囲気はない
路面電車の「赤迫」電停から徒歩10分ほど。駐車場の脇、道路の歩道の下に隠れるようにトンネルがある。戦時中に魚雷の部品を造っていた工場跡で、6本のトンネルが掘られていたが、4本は入口が塞がれ2本だけが公開されている。入場無料。 トンネル手前には柵が設けられているので中に入ることはできないが、人が近づくとセンサーが反応して照明が内部を照らすようになっている。保存・補強のためであろう、入口は真新しいコ...
戦争の雰囲気はない
路面電車の「赤迫」電停から徒歩10分ほど。駐車場の脇、道路の歩道の下に隠れるようにトンネルがある。戦時中に魚雷の部品を造っていた工場跡で、6本のトンネルが掘られていたが、4本は入口が塞がれ2本だけが公開されている。入場無料。 トンネル手前には柵が設けられているので中に入ることはできないが、人が近づくとセンサーが反応して照明が内部を照らすようになっている。保存・補強のためであろう、入口は真新しいコ...
九一式魚雷の実物が展示
6本掘られたトンネルの内の1・2号トンネルが、2010年から出入口部分を公開されていて、年に数回内部も公開していて、大変貴重な遺産です。地元の多くの方にとっては負の遺産かもしれませんが、国防とは言え民間で大量の兵器を作り商売していた歴史的事実は、広島と長崎の経験との因果関係が検証されて正しく伝えるべき価値がありそうですね。深い反省のもと、批判するだけでなく、建設的な活動を次の世代に繋げたく。