戦国時代の武将でキリシタン大名としても有名な大友宗麟公、大分市内市内で大友氏の館跡の発掘調査が行われていたり、大分駅前に銅像があったりしますが、終焉の地は津久見だったんですね。現在の墓跡は昭和時代に造られたもののようです。
豊後の大友氏のお墓です。キリシタン大名だったので墓石にクロスが描かれていました。銘菓ザビエルもこの由来だそうです。
津久見市が大友宗麟の終焉の地であることは最近になって知りました。宗麟の時代にはここの森はキリスト教会の地だったそうです。宗麟は最初、キリスト教式に葬られ、長男の時代に禁教令により仏式に改装され、さらに現在の墓は寛政年間にさらに改装されたものだそうです。現在のキリスト教式の墓は昭和になってから作られたものです。歴史の流れを物語る興味深い墓の場所でした。
津久見が終焉の地なんですね
戦国時代の武将でキリシタン大名としても有名な大友宗麟公、大分市内市内で大友氏の館跡の発掘調査が行われていたり、大分駅前に銅像があったりしますが、終焉の地は津久見だったんですね。現在の墓跡は昭和時代に造られたもののようです。
大友氏
豊後の大友氏のお墓です。キリシタン大名だったので墓石にクロスが描かれていました。銘菓ザビエルもこの由来だそうです。
大友宗麟公の墓地
津久見市が大友宗麟の終焉の地であることは最近になって知りました。宗麟の時代にはここの森はキリスト教会の地だったそうです。宗麟は最初、キリスト教式に葬られ、長男の時代に禁教令により仏式に改装され、さらに現在の墓は寛政年間にさらに改装されたものだそうです。現在のキリスト教式の墓は昭和になってから作られたものです。歴史の流れを物語る興味深い墓の場所でした。